春のアニメ劇伴レコーディング

recording20140219

縁あってこのところスタジオ仕事なども継続してやらせていただいております。そろそろ春の新番組の季節ということで、劇伴の制作も佳境!

昨日のピアノのレコーディングはかなり珍しい体験になりました。テーマはホンキートンク&プリペアド。調律をメチャメチャにしたり弦に細工したりというのは、スタジオ備え付けのピアノに対してはとてもとてもできることではありません。なので、誰かが買わなければスクラップになろうかというアップライトピアノをオークションで手に入れてきてスタジオに搬入し、それを好き勝手いじり倒しながら録ってやろうという、とても贅沢な趣向です。「最後は楽器を壊しながら録りたい」というアイディアまで飛び出したり。……結局、楽器を目の前にするとあまりに申し訳なくて壊すのは無理、ということになりましたけれども。デスヨネー。

芸術音楽と商用音楽をやたら分け隔てるような言説も世の中にはありますが、我々の生きているのはこういう時代なのですね。楽器を壊しながら演奏する、というようなアイディアは20世紀のかなり尖った前衛の類としてあったわけですが、それがひとつの表現のあり方として「劇伴」に取り入れられてしまう時代。そこまではっちゃけなくても、シンセサイザーで作り上げた音響の中に生の楽器演奏を混ぜこむようなことは日常茶飯で行われています。そういえば今回は無調の即興を入れるような曲もあったんですけど、作曲家さんは「これで平均律ぴったりのピアノで無調フレーズ録っちゃったら、逆に20世紀前半的すぎて古くさいかも」と漏らしておられました。

劇伴の世界というのはけっこうシビアなもので、音楽で人の心を的確に動かさなければなりません。そういった中で、作曲家は作品の世界観を汲み取り、イマジネーションをふくらませて表現方法を探るわけです。「商用音楽はすべて既存の手法の焼き直し」などと「芸術音楽」の観点からなかば見下してされる言説を最近(あの件にかこつけて)いくつか見ましたけれど、実は商用音楽ってとっても自由な世界です。特に劇伴は、人の心を動かせさえすれば何やったって構わない。既存の手法から何かを選択するだけでも、そこには閃きが必要なのになあ、と思えてなりません。

いわゆる現代音楽はファッションショーみたいな側面がある、と私は思っています。それに対して商用音楽は街で着られるブランド製品のデザインといったところでしょうか。確かに、「前衛」の人々こそ開拓者だというのは間違いではありません。しかし結局、どんな前衛的手法だろうと、出てきた音がどう人の心に届くのか、という一点を通してのみ価値をはかられることになります。だって音楽なんだもの。聴覚上の何らかの特性があって、それが人の心を動かすということがないなら、音として出力する必要性はまったくないわけで。

今回のレコーディングでは、きっと面白くて心動く音が録れているはずなので、どこかでホンキートンクピアノ推しな劇伴を耳にしたらちょっと注目――注耳?――してみてくださると嬉しいです。

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コメント & トラックバック

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  1. posted by yukarinote

    どんな作品になるのか楽しみです。ピアノ壊しちゃわなくって良かったです。森下さんがピアノ壊すのは非常に辛いことでしょう・・それも創造の一環なのかもしれませんが
    「壊したくない」って気持ち、とても大事だと思ってます。ほっっておいてもどんどん壊れていくのに・・

     さてさて、商用と芸術とか、この2月は哲学してしまいました。加えて、オリンピックの浅田真央さん演技、同じようなものを感じました。そして、失敗もなにもかも含めて、ものすごく感動して心に残りましたね~。順位なんて関係ないって、ほんとに思いました。もっと滑ってほしいですね。また見たい(^.^)

     「壊したくない」「なくしたくない」「可愛い」って思わせるものが、やっぱりいいです。
    芸術って、私には、よくわかんないようですが(^.^)

    • 何かを良いなと思い、大事にする素朴な感情から、あまり離れない場所にいたいと私は思ってしまいます。
      逆に、自分が大事だと思うものが全人類にとって同じく大事なはずだ、と尊大になってしまうと良くないのかな、などと。

  2. 写真がおもしろいです。ピアノの中身が見えて、本当に弾いてるんだと言う実感がわいてくると
    思います。ピアノをもとのとおりに覆ってしまったならば、鍵盤を指で触っているだけの行為にしか見えません。鍵盤は単なるボタンと同じとなります。ピアノは絵画としては、内部構造をさらけだしたほうが、素晴らしくも見え、実際の演奏楽器としては、内部が見えれば、ある程度は、オケの楽器のように、一生懸命に弾いてるなあと思えるのではないか。音が狂っていても、音楽性だけは出してもらいたいものです。なぜなら、ピアノはできてから、戦前までには、少なくとも正しい調律なんてなかったと思います。多分、現在は、演奏会があるごと、調律をしているのかとは思いますが。本来は、音外れであっても、演奏で感動させるものだと思います。

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